mumiのつぶやき

親と似ている自分が嫌になる…「自分と親が同じに感じる苦しさ」と向き合い、本来の自分を取り戻すために/石狩市

mumiota

「自分と親が同じに感じる苦しさ」と向き合うために

「わたし、お母さんと同じことを言ってる…」

「嫌だったはずなのに、気づけば同じことをしている…」

そんな瞬間に、自分自身がとても嫌になってしまうことがある。

そして、

「こんな自分なんていなくなってしまいたい」

「声を出すことも、人と関わることも嫌だ」

「存在を消したい」

そんなところまで苦しくなってしまうこともあるんだよね。

でもね。

親と似ている部分があることと、親そのものになることは、まったく別のことなんだと思う。

親と自分がひとつのように感じてしまう苦しさ

こどもの頃、自分の気持ちよりも、親の機嫌や期待を優先して生きてきた人ほど、「自分」と「親」の境界が曖昧になりやすい。

親が喜ぶこと。

親が望むこと。

親が怒らないこと。

それを考え続けているうちに、

「わたしはどうしたい?」

という感覚がわからなくなってしまう。

だからおとなになっても、親と違う考えを持つことに罪悪感を感じたり、親と同じところを見つけるたびに、自分自身まで否定したくなってしまうことがあるんだよね。

親を嫌いにならなくてもいい

親を憎まなければいけないわけじゃない。

親を許さなければいけないわけでもない。

「育ててくれたことには感謝している」

「でも、傷ついたこともあった」

その両方があっていい。

好きか嫌いか。

白か黒か。

そんなふうに決めなくてもいいんだよね。

複雑な気持ちのままでいい。

それが自然だから。

「親と同じ部分がある=悪いこと」ではない

人は育った環境の影響を受ける。

だから、親と似ている部分があるのは当たり前。

でも、それに気づけたということは、

「これからどう生きたいか」

を選べるようになったということでもある。

無意識に繰り返していたものを、すこしずつ意識して変えていける。

それは、親を否定することではなく、自分自身を育て直していくことなんだと思う。

自分と親は別の人

親は親。

わたしはわたし。

たとえ似ている部分があったとしても、感じることも、考えることも、選ぶことも、人生を生きるのも、全部別の人。

親の感情まで背負わなくていい。

親の期待を叶え続けなくていい。

親の人生を生きなくていい。

「わたしはどうしたい?」

「わたしは何が心地いい?」

そんなちいさな問いを重ねていくことで、すこしずつ「自分」という輪郭が戻ってくる。

ここからいなくなりたいと思うほど苦しい時は

「消えてしまいたい」

「誰とも関わりたくない」

そう感じる時。

ほんとうは、自分を消したいんじゃなくて、苦しみから離れたいだけなのかもしれない。

ずっとがんばって、ずっと合わせて、ずっと自分を後回しにしてきたから。

もう限界だよ。

すこしやすませて。

そんなこころの声なのかもしれない。

だから、そんな自分を責めなくていい。

家族の輪に入れない日があってもいい。

話したくない日があってもいい。

一人になりたい日があってもいい。

まずは、

「そう感じているんだね」

と、自分の気持ちを否定せずにいてあげてね。

過去は変えられなくても、これからの自分は育てていける

親と似ている部分があるからといって、あなたの人生まで決まるわけじゃない。

今までの生き方を責める必要もない。

これからすこしずつ、

「わたしはどう生きたい?」

をたいせつにしていけばいい。

親と同じ部分がある自分も。

親とは違う部分を持っている自分も。

どちらも抱えながら、「わたし」として生きていける。

完璧に切り離さなくてもいい。

すこしずつ、自分という境界を育てながら。

そして、

「わたしはわたしでいい」

そう思える日が、きっとすこしずつ増えていくんじゃないかな🌿

さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

ABOUT ME
mumi
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理学療法士
“なんでも自分でやらなきゃ!”と無理に笑って、がんばりすぎて、きづけばこころもからだも限界に…。ささいなことにも、すぐいらいらしてしまっていた。“ほんとは笑顔でこどもたちと過ごしたい”。その想いから、無理する自分をすこしづつ解放し、楽に、心地よく、自分らしく生きることをたいせつにしてきた。こころとからだの土台を整えて、こころからのやさしい笑顔でいられる自分になる。自分を好きになるために、こころとからだの声に耳を傾け、心地いい自分でいられるためにたいせつな想いをブログに紡いでいく。
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