mumiのつぶやき

人の顔色を伺ってしまうあなたへ|気を遣いすぎるのは幼少期に身につけた自分を守る方法かもしれない/石狩市

mumiota

気を遣いすぎるのは、自分を守るためだったのかも

「相手の機嫌が悪いと、落ち着かない」

「誰かが怒っていると、自分まで苦しくなる」

「周りの人が心地よく過ごせるように、いつも気を遣ってしまう」

そんなことはありませんか?

相手の気持ちを考えられることは、とても優しいことです。

場の空気を読んだり、誰かが困らないように先回りしたり。

そうした力があることで、周りの人から頼られることもあるでしょう。

でも、ときどき思うのです。

その「気遣い」は、ほんとうに今の自分がしたいことなのでしょうか。

それとも、昔の自分が身につけた「自分を守る方法」が、今も続いているのでしょうか。

親の顔色を伺うことが、生きていくための方法だった

ちいさな頃。

親の顔色を見ながら行動していた。

「今日は機嫌がいいかな」

「怒らせないようにしよう」

「今は話しかけないほうがいいかな」

そんなふうに、周りの様子を敏感に感じ取っていた方もいるかもしれません。

それは、決して悪いことではありません。

その頃の自分にとっては、そうすることが必要だったのかもしれない。

周りのおとなの感情を察知すること。

先回りして行動すること。

自分の気持ちを抑えること。

そうやって、ちいさな自分は自分自身を守ってきたのかもしれません。

おとなになっても「ひとの機嫌」が気になってしまう

おとなになると、自分で選べることが増えていきます。

嫌な場所から離れることもできる。

誰かに相談することもできる。

「それはできません」と伝えることもできる。

距離を置くことだってできます。

それでも、頭ではわかっているのに、

「相手がどう思うか」

「嫌われないかな」

「怒らせてしまったかな」

と、相手の感情が気になってしまう。

それは、長い時間をかけて身につけてきた反応だから、簡単には変わらないこともあります。

だから、

「どうしてわたしはこんなに気にしてしまうんだろう」

と、自分を責めなくてもいいのだと思います。

もしかしたら、その反応は昔の自分にとって、とてもたいせつなものだったのかもしれません。

「気遣い」と「自分を守るための行動」は、似ているけれどすこし違う

人を思いやることは、とても素敵なことです。

相手が心地よくいられるように配慮する。

場の空気を穏やかにする。

誰かの困っていることに気づく。

それは、あなたのたいせつな才能でもあると思います。

でも、

「相手が不機嫌にならないようにしなければ」

「相手を怒らせたら大変」

「わたしが我慢すれば丸く収まる」

という気持ちが強くなってくると、すこし違ってきます。

そこには、

「相手の感情を悪化させないことで、自分を危険から守らなければ」

という無意識の反応が隠れていることがあるからです。

いつも周りを気にしていると、からだもやすめなくなる

危険を避けようとしているとき、わたしたちのからだは自然と緊張します。

肩に力が入る。

呼吸が浅くなる。

からだがこわばる。

周囲の音や表情に敏感になる。

「何か起こらないかな」と、無意識に周りを見続けてしまう。

そんな状態が長く続けば、当然、からだも疲れてしまいます。

ずっと気を張っているのですから、こころからやすむことが難しくなってしまうのも無理はありません。

そして、ようやくひとりになった途端、泥のように眠ってしまう。

何もしたくなくなる。

動く気力がなくなる。

そんなことが起こることもあります。

「動けるようになったら、またがんばる」を繰り返していませんか?

すこしやすんで、ようやく元気が戻ってくる。

すると、

「またがんばらなきゃ」

と、周りのために動き始める。

誰かの機嫌を気にして。

誰かが困らないようにして。

誰かに嫌な思いをさせないようにして。

そして、また疲れてしまう。

そんな循環になっていることはありませんか?

もし心当たりがあるなら、

「自分は弱いから」

「気にしすぎる性格だから」

と、自分を責めなくても大丈夫です。

もしかしたら、あなたはずっと、自分を守るために一生懸命だったのかもしれません。

ちいさかった自分に「ありがとう」を伝える

昔の自分は、逃げる方法を知らなかった。

自分で環境を変えることも難しかった。

だから、

「相手の機嫌を損ねない」

「怒らせない」

「周りに合わせる」

という方法を選んだ。

それによって、自分を守ってきた。

そう考えてみると、今まで「直さなきゃ」と思っていた自分の癖が、すこし違って見えてくるかもしれません。

「こんな自分はダメ」ではなく、

「あの頃のわたしは、そうすることで自分を守っていたんだね」と。

まずは、そんなふうに昔の自分を理解してあげることから始めてもいいのだと思います。

おとなになった今は、自分を守る方法を選び直せる

そして今。

あなたはもう、ちいさな頃の自分ではありません。

嫌な場所から離れることもできる。

誰かに助けを求めることもできる。

距離を置くこともできる。

「今は話したくない」と伝えることもできる。

相手が不機嫌になったとしても、それは必ずしもあなたの責任ではありません。

相手の感情は、相手のもの。

相手の選択も、相手のもの。

そして、自分の感情は、自分のもの。

ここに境界線を引いてあげることも、自分を守る方法のひとつです。

「相手がどう思うか」より「わたしはどう感じている?」

誰かの機嫌が悪いとき。

以前なら、

「どうしたら機嫌を直してもらえるだろう」

と考えていたかもしれません。

でも、すこしずつ、

「わたしは今、どう感じている?」

と、自分に問いかけてみる。

怖い?

悲しい?

疲れている?

距離を置きたい?

ほんとうは嫌だった?

それとも、今は何もしたくない?

その答えに、正解も不正解もありません。

ただ、

「わたしはこう感じているんだね」

と、自分の気持ちを知ってあげる。

それだけでも、自分のこころとの距離がすこし近くなることがあります。

自分のこころが心地よくいられる選択をしていい

誰かをたいせつにすることと、自分を犠牲にすることは同じではありません。

場の調和をたいせつにしながら、

「わたしはここまで」

と、自分の境界線を持つ。

誰かの機嫌を直すためではなく、自分のこころが穏やかでいられるために選択する。

それは、決してわがままではないと思います。

むしろ、おとなになった今だからこそできる、自分自身を守る方法なのかもしれません。

あの頃の「自分を守る力」を、今の自分のために使う

幼い頃に身につけた力は、なくす必要はないのかもしれません。

人の気持ちに気づけること。

場の空気を感じ取れること。

相手を思いやれること。

それは、あなたのたいせつな力です。

ただ、その力を、

「誰かの機嫌を損ねないため」

だけに使わなくてもいい。

これからは、

「自分も心地よく過ごすため」

に使っていけばいい。

周りを見る力と同じくらい、自分を見る力も育てていく。

「今、わたしはどうしたい?」

「これはわたしにとって心地いい?」

そんな問いを持ちながら、自分の人生を選んでいく。

それが、おとなになった今の自分にできる、新しい「自分の守り方」なのだと思います🌿

もし今、誰かの顔色を気にして疲れているのなら。

まずは、ひとつだけ。

「相手はどう思う?」ではなく、「わたしはどう感じている?」

と、自分に聞いてあげてください。

ちいさな頃からがんばってきたあなたが、これからは自分自身のこころも守りながら過ごせますように。

さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

ABOUT ME
mumi
mumi
理学療法士
“なんでも自分でやらなきゃ!”と無理に笑って、がんばりすぎて、きづけばこころもからだも限界に…。ささいなことにも、すぐいらいらしてしまっていた。“ほんとは笑顔でこどもたちと過ごしたい”。その想いから、無理する自分をすこしづつ解放し、楽に、心地よく、自分らしく生きることをたいせつにしてきた。こころとからだの土台を整えて、こころからのやさしい笑顔でいられる自分になる。自分を好きになるために、こころとからだの声に耳を傾け、心地いい自分でいられるためにたいせつな想いをブログに紡いでいく。
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