幼少期の恐怖体験がおとなになっても疲れにつながる?顔色を伺い続けてしまうこころとからだ/石狩市

顔色を伺い続けてしまうこころとからだへ
「どうしてわたしは、こんなに人の顔色を気にしてしまうんだろう」
「誰かと一緒にいると、なんだか気が抜けない」
「ひとりになった途端、どっと疲れる」
そんなことはありませんか?
もしかすると、その反応には、これまで生きてくる中で身につけてきた「自分を守る方法」が関係しているのかもしれません。
幼少期の恐怖体験や記憶はこころとからだに残ることがある
ちいさい頃に感じた怖さや不安。
親の機嫌を損ねないように、いつも顔色を伺っていた経験。
怒られないように、静かにしていた経験。
「今、怒っているかな?」
「大丈夫かな?」
と、周りの様子を常に気にしていた経験。
そうした体験が、すべて「トラウマ」になるというわけではありません。
けれど、幼い頃に感じた強い恐怖や安心できなかった体験が、その後も心やからだの反応に影響することはあります。
特にちいさいこどもは、おとなのように「ここから逃げよう」「誰かに助けを求めよう」と自由に選べないことがあります。
その環境の中で、自分を守るためにできることを一生懸命探していたのかもしれません。
ちいさな頃の自分を守っていた「からだを固める」という方法
怖いとき、わたしたちは無意識にからだに力が入ることがあります。
肩をすくめる。
からだを固くする。
息をひそめる。
じっと相手の様子を見る。
「何か起きないかな」と周囲を気にする。
それは、そのときの自分にとって必要な反応だったのかもしれません。
ちいさな自分には、ちいさな自分なりの「生きるための方法」があった。
逃げることができない。
状況を変えることもできない。
だから、からだを固めて守る。
相手の顔色を見て、危険がないかを感じ取る。
そうやって、その環境を生き抜いてきたのかもしれません。
おとなになっても「人の顔色を伺う」ことがある
そして、おとなになった今。
もう当時とは違う環境にいるのに、
「相手の機嫌が気になる」
「怒っている人がいると、すぐに気づいてしまう」
「誰かの感情の変化に敏感」
「嫌われないように気を遣ってしまう」
そんなことが続く場合があります。
もちろん、周りをよく見られることや、人の気持ちに気づけることは素敵な力でもあります。
でも、それが「常に気を張っている状態」になっているとしたら。
疲れてしまいますよね。
いつも周りに「センサー」を張っていませんか?
家族と一緒にいても、誰かの機嫌を気にする。
物音に反応する。
会話の空気を読む。
相手の表情を見る。
「今、大丈夫かな?」
と、無意識に周りを確認する。
自分では普通に過ごしているつもりでも、こころとからだはずっと周囲を確認している。
そんな状態では、なかなかほんとうの意味で「やすむ」ことができません。
からだの力が抜けない。
肩や首がこわばっている。
呼吸が浅く感じる。
家に帰っても気持ちがやすまらない。
そして、ひとりになった瞬間、
「もう何もしたくない……」
と、ぐったりしてしまう。
そんなこともあるかもしれません。
ひとりになった途端に疲れるのは、がんばっていたからかもしれない
人と一緒にいるときは、気を張っている。
家族といるときも、誰かの気配を感じ取っている。
そして、ひとりになった瞬間に、ようやく力を抜ける。
だから、どっと疲れを感じる。
そんなとき、
「なんでわたしはこんなに疲れるんだろう」
「何もしていないのに……」
と、自分を責めたくなることもあるかもしれません。
でも、もしかすると「何もしていなかった」のではなく、
ずっと周りを見て、
ずっと気を遣って、
ずっと自分を守っていたのかもしれません。
そう考えてみると、
「わたし、思っていたよりがんばっていたんだな」
と、すこし見方が変わることがあります。
疲れたときは「強制的に人との距離をとる」こともたいせつ
どうしても疲れてしまったとき。
誰かと一緒にいることさえしんどいと感じるとき。
そんなときは、意識的に人との距離をとる時間が必要なこともあります。
ひとりで過ごす。
スマートフォンからすこし離れる。
静かな場所にいる。
何もしない。
眠る。
温かい飲み物を飲む。
ただぼーっとする。
「そんなことをしていていいの?」
と思うかもしれません。
でも、何もしない時間も、自分をやすませるためのたいせつな時間です。
「自分のために時間やお金を使う」ことに罪悪感があるあなたへ
自分のために時間を使うと、罪悪感を感じることはありませんか?
家族に使ったほうがいいんじゃないか。
こどものために使ったほうがいいんじゃないか。
もっと家事をしたほうがいいんじゃないか。
自分のためにお金を使うなんて、贅沢なんじゃないか。
そんなふうに思ってしまうこともあるかもしれません。
特に、長い間「自分よりも周りを優先する」ことを続けてきた人にとっては、自分のために時間を使うことそのものに慣れていないこともあります。
だからこそ、すこしずつでいい。
「わたしのために使っていい時間」
をつくってあげてほしいと思います。
せっかくつくったひとり時間は、自分のために使っていい
もし今日、ひとりになる時間をつくれたなら。
せっかく使った時間やお金に、
「こんなことに使ってしまった」
と罪悪感を向けるのではなく、
「わたしのために、この時間をつくってあげられた」
と思ってみてください。
ゆっくりお茶を飲む。
好きな音楽を聴く。
何もせずに横になる。
散歩をする。
からだをゆるめる。
好きなものを食べる。
眠る。
何をしてもいい。
たいせつなのは、
「これはわたしのための時間なんだ」
と、自分に許してあげることなのかもしれません。
ちいさな頃の自分に「もう大丈夫」と伝えるように
幼い頃のあなたは、きっとそのときの環境の中で、自分を守る方法を探していた。
顔色を見ることも。
からだを固めることも。
周りの気配を感じ取ることも。
そのときの自分にとっては、たいせつな方法だったのかもしれません。
だから、
「どうしてわたしはこんな性格なんだろう」
「もっと気にしないようにしなくちゃ」
と責めるのではなく、
「そうやって、自分を守ってきたんだね」
と、すこしやさしく見てあげる。
そして今の自分には、昔とは違う選択肢があります。
その場から離れることもできる。
ひとりになることもできる。
誰かに相談することもできる。
やすむこともできる。
「今日はもう十分」と言うこともできる。
こころとからだが「やすんでもいい」と感じられる時間を
ずっと周りに気を配ってきた人にとって、
「何もしない」
「力を抜く」
「自分を優先する」
ということは、最初はすこし落ち着かないこともあるかもしれません。
それでも大丈夫。
いきなりおおきく変えなくてもいいんです。
まずは10分。
ひとりで過ごしてみる。
ゆっくり息を吐いてみる。
肩の力を抜いてみる。
「今は安全だな」と、自分の周りを見渡してみる。
そして、
「今日はわたしのために時間を使おう」
と決めてみる。
そんなちいさな積み重ねからでもいいのだと思います。
もし幼少期の体験による苦しさが今も強く続いていたり、日常生活に大きな影響がある場合は、ひとりで抱え込まず、専門家に相談することもたいせつです。
自分を守るために身につけた反応を、無理に消そうとしなくていい。
まずは、
「わたし、ずっと自分を守ってきたんだな」
と気づいてあげる。
そして今日からすこしずつ、
「もうすこし、力を抜いてもいいよ」
と、今の自分に伝えてあげる。
そんな違った方法で自分をまもることも、たいせつにしてあげてくださいね🌱
さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

