我慢しすぎて疲れたときに|「やすみたい」と感じられなくなったこころとからだのサイン/石狩市

「やすみたい」と感じられなくなったこころとからだのサイン
「疲れたな」
そう感じたとき、あなたはちゃんとやすめていますか?
ほんとうは横になりたい。
今日は何もしたくない。
すこしひとりになりたい。
そんな気持ちがあっても、
「まだ動けるから」
「これくらいはやらなくちゃ」
「みんながんばっているんだから」
と、自分を動かしてしまう。
そんなことはありませんか?
我慢することが当たり前になっていると、いつの間にか「疲れている」という感覚そのものを感じにくくなることがあります。
我慢することが当たり前になっていた時間
人によっては、我慢せざるを得ない状況があったのだと思います。
仕事をしながら家庭をまわして。
こどもたちのお世話をして。
家族のことを優先して。
自分の時間なんて、ほとんどない。
そんな毎日を、ただ一生懸命に駆け抜けてきた。
「やすみたい」と思っても、やすめる状況ではなかった。
だから、
「疲れているけれど動く」
「自分のことは後回しにする」
「やりたいことより、やらなければいけないことを優先する」
それが、生きていくための方法になっていたのかもしれません。
その頃の自分にとっては、それが必要だった。
だからこそ、まずはそんな自分を責めなくていいんですよね。
こどもの手が離れても、我慢する癖が残っていることがある
こどもたちがすこしずつ大きくなって、
「やっと自分の時間が持てるようになった」
という時期。
以前よりも自由な時間ができたはずなのに、それでもやすめない。
せっかく時間ができたのだから、
「家のことをやらなくちゃ」
「今のうちにこれをやっておこう」
と、また別のことを始めてしまう。
気づけば、ずっと動いている。
そんなこともあるかもしれません。
長い間、自分を後回しにしてきた人にとっては、
「自分のために時間を使う」こと自体が、難しくなっていることがあるんです。
年齢とともに変わってくる「がんばれる量」
そして、年齢を重ねると、以前と同じようには動けないと感じることもあります。
昔は一晩寝れば大丈夫だった。
すこしくらい無理をしても、翌日には動けた。
でも今は、
「疲れが抜けない」
「からだが重い」
「動こうと思っても、なかなか動けない」
そんなふうに感じることがある。
それは、怠けているからではないかもしれません。
今のからだには、今のからだのペースがあります。
以前の自分と比べて、
「どうしてできなくなったんだろう」
と責めるのではなく、
「今のわたしには、どれくらいの休息が必要なんだろう」
と考えてみてもいいのだと思います。
からだが重い、やる気が出ない、それはちいさなサインかもしれない
からだは、突然「もう限界です」と大きな声で教えてくれるとは限りません。
その前に、
「ちょっと疲れたよ」
「もうすこしやすんでよ」
と、ちいさなサインを出していることがあります。
たとえば、
- からだが重い
- 動く気力が出ない
- やる気が出ない
- 何をするにも億劫
- いつも眠たい
- 何もしたくない
- 以前より疲れやすくなった
そんな変化です。
もちろん、こうした症状にはさまざまな原因があります。
だから、「がんばりすぎているから」と決めつける必要はありません。
でも、もし最近こうした変化が続いているのなら、
「わたし、すこし無理をしていないかな?」
と、自分の状態を見つめてみるきっかけにはできるかもしれません。
我慢を重ねると、ある日突然あふれてしまうことも
我慢しているときは、
「まだ大丈夫」
と思っている。
すこしくらい疲れていても動ける。
今日もがんばれる。
やすむのは、これが終わってからにしよう。
そうやって毎日を過ごしているうちに、すこしずつ疲れが積み重なっていきます。
そして、まるでダムに水がすこしずつ溜まっていくように、我慢も蓄積されていく。
ある日、そのダムが決壊するように、今まで押し込めていたものが一気にあふれてしまうことがあります。
急に涙が出る。
何もしたくなくなる。
誰かの何気ない言葉に、強く反応してしまう。
今までできていたことが、できなくなる。
そんな自分を見て、
「どうしてわたしはこんなに弱いんだろう」
と、また自分を責めてしまう。
でもね。
もしかしたら、それは突然起こったことではないのかもしれません。
ずっとずっとがんばってきた、からだが
「もうがんばらなくてもいいよ」
と教えてくれているのかもしれません。
「やすみたい」と感じることにも、練習が必要なのかもしれない
我慢することが当たり前だった人ほど、
「疲れた」
「やすみたい」
と感じることに、罪悪感を持つことがあります。
やすんでいいのかな。
こんなことでやすんでいいのかな。
まだ動けるんだから、やらなくちゃ。
そんなふうに思ってしまう。
でも、やすむことは悪いことではありません。
やすむことは、
何もしないことではなく、自分を回復させるための時間です。
車だって、ガソリンが空っぽのまま走り続けることはできません。
わたしたちも同じ。
ずっと走り続けるためには、途中で立ち止まって、エネルギーを補充する時間が必要なんです。
こどもたちのためにがんばってきたからこそ、自分のための時間も
仕事をして。
家族のことを考えて。
こどもたちを育てて。
毎日をまわしてきた。
そんな時間が長かったからこそ、
「自分のために時間を使う」
ということに慣れていなくても、当然なのだと思います。
だから、いきなり大きく変えなくても大丈夫。
まずは、
「今日はすこし早く寝よう」
「10分だけ何もしない時間をつくろう」
「ほんとうはやりたくないことを、今日はひとつやめてみよう」
そんなちいさなところから。
自分の感覚を取り戻していけばいいのだと思います。
「がんばれる自分」だけではなく「やすめる自分」もたいせつに
がんばれることは、とても素敵な力です。
責任感があって、家族のことを考えられて、大変なことがあっても乗り越えてきた。
きっと、たくさんのことをがんばってきたんですよね。
でも、
がんばれることと、がんばり続けなければいけないことは違います。
これからは、
「がんばれるわたし」だけではなく、
「疲れたらやすめるわたし」
「助けを求められるわたし」
「今日はやらないと選べるわたし」
も、たいせつにしてあげてほしい。
それは、これまでがんばってきた自分を否定することではありません。
むしろ、
これまでがんばってきた自分を、これからは自分自身が守ってあげること
なのだと思います。
今日の自分に「やすんでいいよ」と言ってあげよう
もし今、
「なんだか疲れているな」
「からだが重いな」
「何もしたくないな」
と感じているなら。
「もっとがんばらなくちゃ」
ではなく、
「わたし、ずっとがんばってきたんだな」
と、一度立ち止まってみてください。
そして、
「疲れているなら、やすんでいいよ」
と、自分に声をかけてあげてください。
我慢をやめることは、わがままになることではありません。
自分のからだとこころを、ちゃんとたいせつにすること。
ダムが決壊するまで我慢するのではなく、すこしずつ水を抜いてあげるように。
すこしずつやすんで。
すこしずつ自分をいたわって。
これからは、自分の人生の中に、自分自身もちゃんと置いてあげてくださいね🌿
※強い疲労感や気分の落ち込み、睡眠・食欲の変化などが長く続く場合は、無理にセルフケアだけで解決しようとせず、医療機関などに相談することもたいせつです。
さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

