mumiのつぶやき

【人に気を遣いすぎるあなたへ】人間関係の境界線をつくり、自分の心を守る方法|自分らしく生きるために/石狩市

mumiota

場を和ませることは、とても素敵な力

その場の空気を感じ取って、

「今、この人はどんな気持ちかな?」

「みんなが心地よく過ごすにはどうしたらいいかな?」

そんなふうに考えられる人がいます。

場を和ませること。

人と人との間をつなぐこと。

みんなが心地よくいられるように調整すること。

それは、人と関わっていくうえで、とてもたいせつな力だと思います。

きっと、そういう方は昔から自然と周りを見てきたのかもしれません。

誰かが困っていたら気づく。

空気が悪くなりそうなら、自分が間に入る。

相手が嫌な思いをしないように言葉を選ぶ。

そんなことが、がんばらなくてもできてしまう。

でも、その優しさが、時には自分自身を疲れさせてしまうことがあります。

相手をたいせつにするほど、自分との境界線がわからなくなる

たいせつな人であればあるほど、相手の悲しみを自分のことのように感じたり、相手が怒っていると、自分まで苦しくなったり。

相手が悩んでいると、

「どうにかしてあげなきゃ」

と思ってしまう。

そしていつの間にか、

「相手の問題」と「自分の問題」の境目がわからなくなってしまう。

そんなことはありませんか?

人にはそれぞれ、

「自分は自分」

「相手は相手」

という境界線があります。

これは、相手を冷たく突き放すためのものではありません。

むしろ、

自分も相手もたいせつにするための境界線

なのだと思います。

相手の感情は、相手のもの

誰かが怒っている。

誰かが悲しんでいる。

誰かが不機嫌になっている。

そんなとき、

「わたしのせいかな?」

「わたしがなんとかしなきゃ」

と考えてしまうことがあります。

でも、相手が何を感じるのか。

どんな選択をするのか。

どう行動するのか。

それは、その人自身のものです。

もちろん、相手をたいせつにすることはできます。

話を聞くこともできます。

寄り添うこともできます。

でも、

相手の感情まで、自分が背負わなくてもいい。

そう思ってもいいのだと思います。

「相手を変えられない」ということは、諦めることではない

たいせつな人だからこそ、

「こうしてくれたらいいのに」

「そんな選択をしないでほしい」

と思うこともありますよね。

でも、相手の人生を決めることはできません。

相手には相手の考えがあり、相手には相手の経験があり、相手には相手の選択があります。

それを尊重することは、

「どうでもいい」と思うことではありません。

その人の人生を、その人のものとして認めること。

そして同時に、

「わたしはどう感じている?」

「わたしはどうしたい?」

と、自分自身の心にも目を向けてあげる。

その両方があっていいのだと思います。

相手の選択で、自分の心まで否定しなくていい

ここが、とてもたいせつなのかもしれません。

たいせつな人が、自分とは違う選択をしたとき。

「どうしてそんなことをするの?」

「わたしの気持ちはどうなるの?」

そんなふうに、こころが痛むことがあります。

その感情は、

「相手を理解できていないから」

でも、

「自分がわがままだから」

でもありません。

悲しいなら、悲しい。

寂しいなら、寂しい。

嫌なら、嫌。

腹が立つなら、腹が立つ。

まずは、

「わたしはそう感じているんだね」

と、自分の気持ちを認めてあげる。

相手の選択を尊重することと、自分の感情を否定することは、同じではありません。

「調和」のために、自分を消さなくていい

人との調和をたいせつにする人は、自分が我慢することで、その場が穏やかになるなら、

「まあ、わたしが我慢すればいいか」

と考えてしまうことがあります。

でも、それが積み重なっていくと、

「わたしはほんとうはどうしたいんだろう?」

という自分の声が、だんだん聞こえにくくなってしまう。

調和を保つことと、自分を消すことは違います。

相手を思いやりながら、自分の気持ちもたいせつにする。

「わたしはこう感じている」

「わたしはこうしたい」

と、自分の中にあるものを認める。

それもまた、健やかな人間関係をつくるために必要なことなのだと思います。

境界線を持つことは、自分を守ること

「自分と相手の間に境界線をつくる」

というと、すこし難しく感じるかもしれません。

でも、まずはちいさなところから。

相手が不機嫌でも、

「今、この人は不機嫌なんだな」

と、一歩引いて見てみる。

誰かが悩んでいても、

「わたしは話を聞くことはできる。でも、この人の人生を決めることはできない」

と、自分の役割を分けてみる。

誰かの期待に応えられなかったときも、

「期待に応えられなかった=わたしが悪い」

と決めつけない。

そんなふうに、

「これは相手のもの。これはわたしのもの」

と、すこしずつ分けていく。

それが、自分のこころを守る境界線になっていくのかもしれません。

優しい人ほど、自分にも優しくしてほしい

周りの人の気持ちを考えられる人。

場の空気を読める人。

誰かが困っていることにすぐ気づける人。

そんな人ほど、自分のことは後回しになってしまうことがあります。

だからこそ、ときどき自分にも問いかけてみてほしい。

「わたしは今、どう感じている?」

「わたしはほんとうはどうしたい?」

「これはわたしが背負うことなのかな?」

誰かをたいせつにするように、自分のこともたいせつにしていい。

誰かのこころを守るように、自分のこころも守っていい。

そんなふうに、自分と相手の境界線をすこしずつ取り戻していくことが、自分らしく生きることにもつながっていくのだと思います。

さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

「自分は自分、相手は相手」でいい

人との調和は、とても素敵なもの。

でも、その調和の中にいるために、

自分をなくす必要はありません。

相手の感情は、相手のもの。

相手の選択は、相手のもの。

そして、

自分の感情は、自分のもの。

自分の選択も、自分のもの。

どちらかを大切にするために、どちらかを犠牲にしなくてもいいのです。

「自分は自分、相手は相手。」

そうやって、ほんの少し境界線を意識してみる。

すると、人との関係の中でも、

もう少し自分らしく、

もう少し心地よく、

過ごせるようになるかもしれません🌿

誰かを大切にすることと、

自分を大切にすること。

その両方を、同じように大切にしていけたらいいですね。

ABOUT ME
mumi
mumi
理学療法士
“なんでも自分でやらなきゃ!”と無理に笑って、がんばりすぎて、きづけばこころもからだも限界に…。ささいなことにも、すぐいらいらしてしまっていた。“ほんとは笑顔でこどもたちと過ごしたい”。その想いから、無理する自分をすこしづつ解放し、楽に、心地よく、自分らしく生きることをたいせつにしてきた。こころとからだの土台を整えて、こころからのやさしい笑顔でいられる自分になる。自分を好きになるために、こころとからだの声に耳を傾け、心地いい自分でいられるためにたいせつな想いをブログに紡いでいく。
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