モンテッソーリ教育に出会って変わった自分の子育て感
モンテッソーリ教育に出会ったことでこどもたちへの対応って何か変わった?
こどもたちに対してイライラしたとき、怒ってしまったときなど、振り返る癖がついたこと。自分の行動を見つめて次にどう動くかを考えられるようになったこと。
ここでは、モンテッソーリ教育の思想にふれたことで自分のこどもへの対応を変えたいと想った気持ちの変化を書きたいと想います(*^^*)
モンテッソーリ教育とは?
モンテッソーリ教育で大切にしていることは、
“こどもは生まれながらに自分で自分を発達させるための力を持っている”
これは、以前ブログでも書きましたが、こどもは生まれた瞬間から“自立に向かって成長している”ということ。
こどもがやりたい!と想うことは、すべてこどもにとっては自立するために必要なことで、親ができるのことは環境の一部となって見守り、サポートする。
“こどもがやりたいと想う衝動は、生きるために必要な力”
この二つが、私を大きく変えました(*^^*)
私の人格が形成されたであろう幼少期の話
私の幼少期の話を少し書きたいと想います。
私自身、小さい頃は知的好奇心の多い方だったなと想いますが、私の親は“失敗してしまう前に修正しよう”という考えが強い親でした。
親にとってはそれは愛情で、“こどもには失敗させたくない”という想いから、よくことわざの“転ばぬ先の杖”という言葉とともに、何か行動を起こそうとすると止められることが多かったなと想います。
何か行動を起こそうとすると、親に止められることが続き、いつしか何か行動する時に親の顔色をうかがうようになり、親の判断がないと動けなくなってしまっていました。
自分で考えて行動する。
生きていくために必要なこの過程が、私にはかけているなと社会人になって感じました。
答えがないと動けない、自分で考えて動かなければいけないことに自信が持てない。
そう感じるのは、幼少期の育った環境もあるのかなと想います。
子育てに悩んだ時期
自分も親になってから考えると、親にとってのこどもの失敗→例えば、自分で牛乳を注ごうとしてこぼしたり。
こぼしてしまう前に修正したいと想うのは、こどものため?大人の都合?と考えるようになりました。
自分の育ってきた環境から、親から受けた子育てが正解だと想う反面、“自分はもっとやりたいことをやらせてもらいたかった”と想っている自分がいました。
“じゃあ自分はどんな子育てがしたいのか?”
自分がこう育てたいと想う、親から受けた子育てとは真逆の子育てをすることに、自信も持てないし、どこか自分で自分を否定しているような気持にもなりました。
モンテッソーリ教育との出会い
子育てに悩んでいた時、モンテッソーリ教育に出会い、その思想に触れることで、私が悩んでいたことの糸口が見えてきた気がしました。
“こどもは生まれながらに自分で自分を発達させるための力を持っている”
“こどもがやりたいと想う衝動は、生きるために必要な力”
こどもがやりたい!と想うことは、何一つ失敗なんてことはないし、むしろ生きるために必要な力なんだ‼と気づいたとき、
“自分もこんな子育てをされたかったんだな”と気づけたことで、
こどもにはやりたいことを想う存分やらせたい!
もし、うまくいかなくても、どうやったらうまくできるのか?
そう考えられるようになり、子育てに対する軸ができた気がしました(*^^*)
まとめ
子育ての軸はできて、こどもたちに対する想いはあるけど、朝の時間のないときに、やりたいことは思う存分やらせてあげられないし、こどもが準備などしなくて動かないときは怒ってしまうこともあります(^_^;)
それでも、モンテッソーリ教育に出会う前と変わったことは、後から振り返り、怒ってしまったけど、あのときはどうしたらよかったのかな?
そんな風に考えられるようになり、毎日トライアンドエラーを繰り返しながら、子育てに奮闘しています!
自分の親としての行動が、こどもの人格に影響を与えることを、自分の幼少期の経験から強く感じているからこそ、こどもへの行動や言動には気を付けていきたいなと想います(*^^*)
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^♪