がんばりすぎてしまうあなたへ|「自分を責める物語」から自由になる内観という考え方/石狩

mumiota

がんばりすぎる女性ほど、自分を厳しく見てしまう

「ちゃんとできていない自分」
「もっとがんばれるはずなのに…」

 そんな言葉を、知らないうちに自分に向けていませんか?

 がんばりすぎてしまう女性ほど、自分の中にとても厳しい“物語”を持っています。

それは、
「わたしはまだ足りない」
「ちゃんとできない自分はだめ」
という、無意識のストーリー。

 でも、その物語は本当に“事実”なのでしょうか?

「出来事」ではなく「物語」で自分を縛っている

 心理学のナラティブセラピーでは、ひとは出来事そのものよりも、出来事にどんな意味をつけて語っているかによって、こころの状態が大きく左右されると考えます。

 内観療法も同じで、自分の人生や人間関係を振り返る中で、「当たり前だと思っていた自分の見方」が、すこしずつ揺さぶられていきます。

すると、
「わたしは迷惑ばかりかけている」
「わたしは受け取る資格がない」
 そんな一方向の物語だけではなかったことに、気づく瞬間が訪れます。

内観は「自分を責めるため」ではない

内観という言葉を聞くと、
「反省しなきゃいけない」
「自分のダメなところを見るもの」
そう感じる人もいるかもしれません。

 でも本来の内観は、自分を裁くための時間ではありません。

それは、
「今まで見えていなかった事実」
「気づかずに受け取っていたやさしさ」
を、そっと拾い集める時間。

 責め続けてきた自分の物語に、別の視点をそっと添えるプロセスなのです。

物語が変わると、自分へのまなざしが変わる

「できなかった自分」だけを語っていた人が、
「それでも、ここまでやってきた自分」という物語を持てるようになる。

 それだけで、こころは驚くほどやわらぎます。

完璧じゃなくていい。
揺れる日があってもいい。

 あなたの人生は、一つの見方だけで語りきれるほど単純なものじゃないから。

今日、できる小さな内観

 夜、少し静かな時間に、こんな問いを自分に向けてみてください。

・今日、わたしは何を受け取っていた?
・気づかなかったけど、支えられていたことは?
・それでも、ここまでやってきた自分は?

答えが出なくても大丈夫。
 問いを向けるだけで、あなたの物語は、もうすこしやさしくなっています。

あなたは、もう十分がんばっている

 自分を責める物語を、一気に手放さなくていい。

ただ、
「別の語り方もあるかもしれない」
そう思えたら、それで十分です。

 あなたの人生の語り手は、いつだってあなた自身。

 今日のあなたが、すこしでも呼吸しやすくなりますように🌿

 さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

ABOUT ME
mumi
“なんでも自分でやらなきゃ!”と無理に笑って、がんばりすぎて、きづけばこころもからだも限界に…。ささいなことにも、すぐいらいらしてしまっていた。“ほんとは笑顔でこどもたちと過ごしたい”。その想いから、無理する自分をすこしづつ解放し、楽に、心地よく、自分らしく生きることをたいせつにしてきた。こころとからだの土台を整えて、こころからのやさしい笑顔でいられる自分になる。自分を好きになるために、こころとからだの声に耳を傾け、心地いい自分でいられるためにたいせつな想いをブログに紡いでいく。
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