がんばりすぎている女性へ|お墓参りで心と体が整った日の話

― 先祖供養が、こころとからだをそっと整えてくれた日 ―
なぜかこころに残っていた「先祖供養」ということば
理由はうまく説明できないけれど、頭の片隅にずっと「先祖供養」ということばが残っていました。
忙しい毎日のなかで、後回しにしてきたこと。
見ないふりをしてきた気持ち。
それらが静かに背中を押してきたような、そんな感覚だったのかもしれません。
父方も母方も、両方のお墓へ
父方のお墓へ。
そして、母方のお墓へ。
どちらにもきちんと足を運んで、手を合わせてきました。
「ありがとうございます」
「今、こうして生きていられるご縁に感謝します」
特別なお願いをしたわけでもなく、ただ静かに、気持ちを伝えただけ。
それだけなのに、不思議と胸の奥にあった言葉にならない“つかえ”のようなものが、すっとほどけていく感覚がありました。
帰り道、からだがふわっと軽くなって
帰り道、
「あれ? なんだか軽いな」って気づいたんです。
からだも、こころも、ふわっと緩んでいる感じ。
「あぁ、これだったんだな」って、自然に腑に落ちました。
実家に帰れなかったことが、こころに残っていたのかもしれない
正直なところ、実家にはどうしても足が遠のいていました。
お盆にも帰れなかったことが、こころのどこかに引っかかっていたのかもしれません。
でも、こうしてちゃんとお参りできたことで、ようやく「年を越せるな」って、こころが静かに落ち着いた気がしたんです🌱
忙しい女性ほど、感謝の時間は後回しになりがち
仕事、家のこと、家族のこと。
毎日を一生懸命に生きていると、
こういう時間はつい後回しになってしまいますよね。
でも、ご先祖さまに感謝する時間って、何かをがんばる時間じゃなくて、自分の根っこを、そっと整える時間なのかもしれないなって思いました。
何も変えていないのに、戻ってこれた感じ
環境を変えたわけでも、何かおおきな決断をしたわけでもない。
それなのに、
「ちゃんと戻ってくる場所に戻れた」
そんな安心感がありました。
がんばり続けて、すこし置き去りにしていた自分を、そっと迎えに行けたような感覚です。
たまには、感謝を伝える日をつくってみる
たまには、立ち止まって、感謝を伝える日をつくる。
それだけで、こころとからだが静かに整うこともあるんですね。
今年を終える前に、そんな時間を持てたことが、とてもありがたく感じています🕊️
当たり前の毎日こそ、感謝を忘れずに
当たり前に過ぎていく日々。
みんなが元気で、笑っていること。
つい忘れてしまいがちだけれど、その「当たり前」は、たくさんのつながりの上にあるもの。
がんばりすぎてしまうときほど、感謝する時間を、たいせつにしていきたいですね🌿
さいごまでお読みいただき、ありがとうございます。

